歴史と火山のシチリア島
                       岡田 勲      
シチリア島MAP
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★行き先選択の経緯
 自分の専門としていた分野の2年に1度定期的に開かれる学会が、
2006年9月にアフリカのチュニジアで開かれるので、参加を早くから
決めていた。妻は、アフリカに同行することに躊躇するので、この
学会の前に近くで観光して、その後、私だけ、学会に参加し、妻は
帰国することが、まず決まった。チュニジアに、地理的に近いヨー
ロッパの国を探すと、イタリアとマルタが候補になり、マルタに知人が
いて行ってみたいと思ったが、調べてみるとマルタからチュニジアに
行く飛行便はほとんどなく、まだ行ったことのないイタリア南部にした。

南部からシシリー島にかけてドライヴしようと一旦は考えたが、イタリア
本島南部は運転が荒いという話を聞いたので、シシリー島に限定した。
 シシリー島と聞くと、すぐマフィアが頭に浮かぶが、マフィアは、一般
旅行者などを相手にしてはいないというので、これは問題にはならな
かった。1971年に最初にローマに行ったときから、イタリアは危険な国
であるということが身に染みていたし、その後も、イタリアで泥棒に遭った
という人の話は数知れず聞いているので、まして、評判の悪い南イタリア
では、治安が一番心配であったが、はたして、自動車強盗未遂に遭った。

 結局、シチリア島を左回りに、11泊12日で廻った。
宿泊場所を次に示す(カッコ内は宿泊数):パレルモ(2)→マルサーラ(1)
→アグリジェント(1)→ポッツアーロ(2)?サンタ・べネリーナ(エトナ山の麓)(2)
→テルメ・ヴィグリアトーレ(ヴルカーノ島への拠点ミラッツオ近郊)(2)→パレルモ(1)。

 面積は、25,700 km2, 人口約500万人で九州の面積の6割強、人口の6割弱を有し、
首都パレルモの緯度は、北緯38°7?で、仙台(38°26?)とほぼ同じである。
パレルモの9月4日の日の出、日の入りは、それぞれ、6時39分、19時33分である。
ヨーロッパの西に位置するフランス、スペインなどに比べて、大分日の入りが早い。
これは我々の旅行には、多少都合が悪い。

 1 cmが2kmに相当する20万分の1の地図1枚に全島が収まり、言葉と治安の
問題に多少不安があったが、ドライブで廻るのには、適した大変よいところであった。

Euroはすでにかなり高く、後で、Citibankのカードでの交換比率では、
1Euro=150-151円であった。
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★35年前のローマ訪問
 イタリアには、過去2度行ったことがあり、もう1度クロアチアに行った折にただ通過した
ことがある。最初は1971年のクリスマス休暇で留学先のスウェーデンから、ローマ2週間
滞在の団体旅行(飛行機とホテルのみを世話する)で行ったことがある。当時は、日本人
はあまり見かけなかったが、町を1人で歩いていると「友達詐欺」(自分は、昨日○○国から
来た。東京オリンピックを見て、日本人が、大好きだ。ちょっと一緒にお茶を飲もうとまったく
同じことを言う。その先は経験がないが、話に聞けば、グルになった飲み屋などに連れ込まれ、
相手は途中でドロンし、数万円の請求書が出てくるらしい)に何度も出会った。
ローマの大使館は、当時から、毎日、その救済対応で大変だったと聞く。当時は、ヨーロッパ
旅行しているアジア人といえば、日本人しかいなかったから、日本人は、すぐ目に付く格好の
カモであった。次々に声をかけてくる大変危険な場所であったが、ローマ遺跡やバチカンの
すばらしさに圧倒された。いわゆる西洋文明あるいはキリスト教文明のすごさと、現代の犯罪
の多さとの対比に驚いた場所であった。

★パレルモ空港深夜の到着
2006年9月4日、アリタリア航空、成田発14時でローマに19時40分に到着する。イタリアは、
ヨーロッパ大陸の多数国と同様、夏時間では、日本より7時間遅れているので、12時間40分
かかっていることになる。約1時間の待ち合わせで、20時55分発ローマ発22時5分にシシリー
島の首都パレルモに着く。この日程を最初、協和海外旅行社の野口さんから提示されたとき、
夜中に初めてのパレルモに着くことに不安を覚え、朝、ローマに着く便は無いかお聞きしたが
無いとのことで、それなら、ローマで一泊するとか、他のパリ経由なども考えてみたが、チュニ
ジアにその後行くには、やはりアリタリア航空が便利ということで、この便を選ばざるを得なく
なった。パレルモは、空港から町まで30 kmもあり、空港で深夜に車を借りて運転するなどは
到底できないと思っていたが、webで調べてみると、町に行く空港シャトルバスが夜24時発まで
あることを知り、それなら、町で翌朝以後に、車を借りればよいということにした。
成田では、この頃には、液体、歯磨きクリームなどの機内持ち込み禁止がアメリカ行きには
始まっていると聞いていたが、成田空港の最初の荷物検査のところで、イタリア行きでも
そうした方が良いといわれ、歯磨きクリームなどを手提げかばんから預けるスーツケースに
移し変えた。ヨーロッパに行く際は、他の人に迷惑をかけないように、また他の人からも煩わせ
られないよう機内の中央の席の通路側を取るが、ローマ便は、窓側の席が2席編成なので、
窓側にする。ローマ空港では、1時間強の待ち時間しかないのに、パスポートコントロールの
時間が大変かかり、気が気でなかった。ヨーロッパの他の国では、普通、入国スタンプも押さない
くらい入国は簡単であるのだが、最近は違ってきたのであろうか。我々は、非EU国人用の2つの
列に並ばねばならなかったが、20 m以上の長さがあって、しかもなかなか進まない。そのうちに、
EU国用のものが、空いて、そちらに後から並んだ日本人などが、どんどん先に進むので、我々も、
そちらに並び替えて、ようやく出ることができ、乗り換え口に急いだ。横から並んだ中に、女子バレー
の監督の柳本監督がいた。そういえば、エコノミークラス席に大変背の高い若い女性を、何人か
見かけたので、試合の遠征に来たことを知る。たしか出発前日テレビ中継で試合していたので、
選手も大変だと思う。柳本監督は、実物は拝見するのは初めてであったが、テレビなどで見るのと
少しも変わらないおじさん風情の方であった。女子バレーの選手の顔は1人も知らないので、誰が、
エコノミークラス席に乗っていたのか知らないが、監督や、レギュラーはビジネスクラス席に乗れる
のであろう。何故、パスポートコントロールがこう混むのか最初分からなかったが、非EU国の例えば、
アルバニアなどから不法労働者がいっぱい入ってくるので、検査が厳重なためだと後で知った。
日本人は、ごく簡単に通してくれていた。
パレルモ空港には時間通り着いたが、治安では評判の悪い地に夜の22時に着いて、あまり良い
気持ちはしなかったが、空港バスをすぐ見つけられて、ほっとする。乗客は、5-6人しか居なかったが、
22時30分発で、約50分かかって(5Euro)、市内最初の停留所のカステルヌオーヴォ広場に着く。
まだ、人が、往来している。そこで、降りて、200 m強ほど荷物を引っ張り予約してあったトニック・
ホテルに入る。予め、バスストップから近いホテルとしてここを予約していた。
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