SICILY G
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Ta6
●タオルミーナ(Taormina)再訪(有名な観光地)
エトナ山麓のホテルは、エトナ山の天気が悪い場合に備えて、2泊の予約をしていた。前日、エトナ山に
行けたので、今日は、1昨日ほとんど見られなかったタオルミーナに再度行くことにする。この町は、車で
行くべきでないことが分かったので、マッツァーロという町のロープウエイの駐車場に車を置いてそこから
タオルミーナの町と結ぶロープウエイに乗ることにする。往復3 Euroである。ホテルを8時50分に出て、
ロープウエイには、9時40分に乗った。車は3時間の駐車料を支払う。タオルミーナは、狭い地に観光客が
いっぱいなので、ここは、徒歩でなければ観光ができないところで、車を置いてロープウエイで来たのは
正解であった。まず、有名なギリシャ劇場に行く。多くの古城や、遺跡が、コンサートや、演劇などの会場に
利用されているように、ここも、音楽会の準備中であった。劇場そのものは、今まで見てきた多くのものと
比べて特にすばらしいものではないが、背景にイオニア海とエトナ山が見えれば、大変すばらしいもので
あろう(Ta4)。そういう日がどれくらい多いのか分からないが、残念ながら、海は、一昨日も今日も、もやが
かかって、色は良くないし、エトナ山は見えない。次に、ガリバルディのタオルミーナ来訪を記念する4月9日
広場を見る。狭いタオルミーナで、やや広く、前に海が見えるので、観光の中心地といえる。広場の中に、
周りの風景とそぐわないコミックな水着の女性の像があり、写真の人気対象となっている(Ta5)。その前に
あるレストランの宣伝用で、移動式になっているのかもしれないが、webで見ると、以前にも、この不釣合い
に疑問を呈しているものがあった。どういう意味があるのか知らないが、ガリバルディも苦笑いだろう。その
広場のすぐ向かいには、サン・ジウゼッペ教会があり、その屋根には髑髏が睨んでいる。その背後には、
タウロ山があり、町を守護するマドンナ・ディ・ロッカの十字架がある(Ta6)。次に200 mぐらい離れたところに
ある小さな大聖堂(カテードラル)に行くが工事中である(Ta7)。長さ800 m程度のウンベルト通りが、中央の
通りで、ここを多くの人が歩いているという観光地の典型の様相を呈している(Ta8)。シチリア民衆伝統芸術
博物館ではミロの特別展示をしていたが、ここで、ミロを見ることもないので、立ち寄らない。
両替店があったので、交換するわけではないが、記録のために写真に撮る(Ta9)。コミッションを入れると、
1Euro=157.33円というEuro高であるが、これを書いている半年後は更にEuroは高くなっている。次に、市民
公園を見る。この中に潜水艇と思われるものが飾ってあるというのも不思議である(Ta10)。由来をwebで
調べたがよく分からなかったが、この島は、第2次世界大戦でも、重要な場所だったことを思い出す。
アメリカ軍、イギリス軍が、シチリア島(それぞれジェラ(Gela:PozzaloとAgrigentoの中間点)と最東南の
パチーノ(Pachino))に上陸作戦を開始したのが、1943年7月9日-10日にかけての夜で、その後9月3日に
は停戦条約に調印して、この島は連合国側の勝利となる。パレルモの陥落でムッソリーニは退陣する。
連合国側でも、ドイツに近いところから攻めたいというアメリカと、この作戦を主張したイギリスとに意見の
相違があった。シチリア島の戦闘で、アメリカ兵、イギリス兵はそれぞれ6896人、12 843人戦死し、枢軸国側
は、戦死者、負傷者、捕虜の合計が164 000人でそのうちドイツ人が32 000人であった。連合国側は、
メッシーナ海峡を渡り、結局、イタリアは、負けただけでなく1943年10月13日には、それまでの味方のドイツ
に対して戦線布告をせざるを得なくなった。もちろん、日・独・伊3国同盟を結んでいた日本の敗戦にも直接
関係してくることになる。Wikipediaには、5ページにもわたってこの戦闘を記述している
http://en.wikipedia.org/wiki/Allied_invasion_of_Sicily)。
そして、これが、翌年6月のD-day海岸上陸作戦につながる。イタリアは敗戦国から勝利国に転じた。

Ta7
Ta8
タオルミーナは観光する場所は800 mのウンベルト1世通りとそれに直角に走る300 mのギリシャ劇場の端に
あるギリシャ劇場の狭い区域に限られているが、何故か、多くの観光客が来ている。ロープウエイで戻って、
そこから車で出たのが、13時であったから、タオルミーナは約3時間観光した。
この先、シチリア島の本土からの玄関といわれるメッシ―ナを通るので、カルヴァッジョの絵がある州立
博物館を見に行く。場所が分かりそうでなかなか分からず、近くに警察署があったので、聞きに寄ったら、
もう開いていないのではないかと言いながらもパトカーで近くまで先導してくれた。博物館に駐車場が無いの
で、近くの道に停めて歩いて行く。手元の案内書には、開館時間は9:00-13:30時となっているが、もう14時
前であったが、運良く開いていた。少し、交通の便が悪いためか、見学者はもう1組ぐらいしかいなかった。
メッシーナで、何故、この辺鄙な所だけを訪問したかといえば、阿部敏雄氏のインターネットに書かれている
旅行記「カラヴァッジョを訪ねて」(http://www.bsk.ynu.ac.jp/~denkazaikakai/00it99/it_99.htm
を拝見した影響による。この方を個人的に存じ上げているわけではないが、フランス、スペイン、イタリアなど
の教会などを車で訪問され、建築様式や絵画などキリスト教文明に対する評論を交えた旅行記が大変
面白く、該当する地域を訪問する時は、参考にさせていただいている。カラヴァッジョの作品は、「牧者の
拝礼」と「ラザロの復活」(Me1)の2点がある。写真撮影可というのは有難いが、暗くて、どうしても手ぶれ
してしまう。これらの絵の説明は上記、阿部氏の書かれたものが、大変優れていて、唯感心する。
シチリア島では9点描いたらしいが、現在は3点しか残っていないそうで、もう1点はシラクーサで探したが
見つからなかったことは上に述べたとおりである。自分の趣味から言えば、印象派のように明るいものが
好きであるが、殺人をして、脱獄して、逃走中にあちこちで名画をものした経歴に興味がわく。
15時30分に市立美術館を出て、今晩のホテルを予約しているテルメ・ヴィグリアトーレ(Terme Vigliatore)の
ホテル(Sait Hotel)に、17時にチェックインする。ここに2泊の予約をしたのは、翌日ヴルカーノ島に行くため
に、船の発着するミラッツォ(Milazzo)に近い所に泊まるためであった。翌日、発着所が分からないといけない
ので、どのようになっているか、17時25分にホテルを出て見に行く。港まで23 kmの距離であった。
運行時間表などはwebで見られて、すでに、webを通じて購入していたフェリーの切符(1人、往き12.50  Euro、
帰り11.40 Euro)の確認と、駐車場所の確認に行く。ミラッツオは、港町なので案の定ごみごみしている。
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写真説明
 
Ta4:タオルミーナのギリシャ劇場(晴天時には正面にエトナ山)
Ta5:4月9日広場の珍人形像
Ta6:4月9日広場とサンジウゼッペ教会
Ta7:大聖堂と女ケンタウロス像の噴水
Ta8:メッツォ門を裏から見たウンヴェルト通り
Ta9:06.9.12の交換レート;1Euro=152.8225円+2.95%(コミッション)
Ta10:市民公園の潜水艇(?)