SICILY C
Ag1
Ag2
Ag3
Ag4
●アグリジェント(Agrigento)(訪問客の多い遺跡)
 次にアグリジェントに行く。途中に、ここでもデンマーク製のヨーロッパで流行っている風車群があった(Ag1)。
まず、ホテルの場所を確かめるべく16時30分に一旦チェックインして、すぐに遺跡を見に行く(入場料6 Euro)。
シチリア島の目玉の1つだけあって、団体客を含めて多くの観光客が来ている。遺跡は、道を挟んで2ケ所に
分かれてある。東側の方に主なものがあり、その中でコンコルディア神殿(Ag2)とジュノーネ・ラチニア(ヘラ)
神殿(Ag3)がある。前者は修復工事中で覆われていて、後者もやはり工事中で、立ち入り禁止になっている。
西側には、建物の跡はあるが、特に建物が建っているわけではない。翌日、国立考古学博物館で見ることに
なる柱であったテラモーネのレプリカが、横たわっていたはずであるが、気付かなかった。
 ホテル(Eos; 75 Euro)に帰って、5 km近く離れたレストラン(Trattoria Lacantina)を紹介してもらい、車で行く。
周囲がオリーヴで密に覆われた野外のところで、温度も快適であったが、車なのでアルコールが取れないの
がちょっと残念である。シチリア島では、フランスとは違ってフルコースを注文している人はほとんど見かけ
なかった。量が多くて、フルコースは普通食べられないであろう。また、ワインを注文している人が少なく、
ビールが圧倒的に多い。シチリア島の観光客は、ドイツ人が多いことによるのであろうか。
最初は、客がまばらであったがやがて大変混んできて、注文したものが、なかなか出てこなく、20時ごろ
から2時間近くいて、ホテルに帰ったのは22時30分であった。
朝、前日見た場所を通り越してやや先にある国立考古学博物館に行く(入場料6  Euro)。前日見た神殿の
谷は、観光バスも連ねて人が来ていたが、ここまで来るほど時間に余裕がある人は少なく、ほとんど人は
いない。人が来ていないので、入り口さえもちょっと分からず、2, 3度聞かねばならなかった。沢山の貴重な
品物があるらしいことは分かるがどれが、どういう価値があるのか皆目分からない。前日見そこねたレプリカ
の柱の本物が、ここの一番の見世物らしいが、それは、2.5階にわたる中央の吹き抜け状の場所に展示して
あった(Ag4)。
その他、ギリシャのアテネの博物館で見たのと同じような壺がいっぱいあった。我々がいる間は、団体客は
1組も来なかった。日本からシチリア島への団体旅行のスケジュールを見ると、パレルモ(その郊外のモンレ
アーレ)、アグリジェント、タオルミーナが、3大目玉地のように思われる。どこが良いかは人の感性によって
違うので、何とも断定はできないが、我々の感想では、アグリジェントは、そう大したところではなく、ローマや
ギリシャに行けば、もっとすばらしい同様なものがいくらでも見られると思った。購入した20万分の1のシシリー
島では、アグリジェントは1星しかついてないから、客観的に見てもたいしたことはないのだが、どうして、観光
客が多いのだろう。
Pi1
Pi2
Pi3
●ピアッツァ・アルメリーナ(Piazza Armerina)(古代モザイク)
 次にピアッツァ・アルメリーナに古代のモザイクを見に行く。途中、シチリア島の内陸部のほぼ中央を通る
(Pi1)。
多分カルタニセッタ(Caltanisseta)付近と思われる。その付近に異様な墓が見える(Pi2)。日本では、普通、
墓は、人目につかない所にあるものだが、ここは、あたかも景観の一部をなすかのように人家と並んで、
あるいはむしろ目立って不気味に並んでいる。
アルメリーナの町に13時頃着く。最初、案内書をよく読まず、町中に遺跡があるものと思い、ほとんど車の
停まっていない町の広場で車を停めて、そこで、道端に店を広げて果物を売っていた若者に、本の絵を示し
て、方向を聞き、イタリア語でよく出来ぬままに、その指す方向に歩いて行った。また別の所で聞いたら、
どうも町の外にあるらしいことが、ようやく分かる。それで、駐車したところまで戻ったら、車のドアに釘状の
もので30 cmぐらいに傷が付けられている。先ほどの若者は、もうおらず、きっと何も買わず、道だけ聞いた
ので腹を立てて悪戯したのではないかと思う。
イタリアではやはり小さな町中でも無料の場所に駐車させるべきでないことを知る。結果から言えば、
AVISに車を返却する際に、傷を報告したが、保険の中に入っているとのことで余分に弁償する必要は
なかった。
 モザイクのある場所は、町から4.5 kmのところにあった。5世紀の大富豪貴族の別荘であったところで、
ヴィラ・ロマーナ・デル・カサーレ(Villa Romana del Casale)と言われている。建物は意外に大きく、全体が
ガラスで覆われているし、モザイクは壁ではなく床に敷き詰められてある。部屋の周りに1−1.5 mぐらいの
高さの見学者用の細い通路が、めぐらせてあり、そこから覗き込んでみるから、モザイクと目との距離は最短
でも3 mぐらいある(Pi3)。絵の全体を見回すにはよいが、細部を見るにはちょっと距離がある。見るのに
具合が悪いのは、その距離ではなくて、太陽光線である。天井がガラス張りなので、モザイクを直接照らして
いて、しかも、そのガラスを支える梁ゲタなどがあるので、影もあり、多くの部屋では、絵全体が、日陰と、
日向の部分が生じていて、見にくくなっている。なるべく明るい状態で展示したいという発想は良いのだが、
博物館の設計者の考えの足りなさに大変疑問を持つ。顔料は日光に強いとはいえ、本来は、室内装飾で
直射日光に曝されていなかったのだから、わざわざ日光に当てることもないであろう。40室ぐらいもあり、
予想していたものよりずっと大規模である。ここのモザイク画はチュニジアから来た職人の手になるものと
いわれている。いろいろな図絵があるが、狩や動物の絵も多い(Pi4)。
この絵は、猪狩りの図のようである。これらの中で一番有名なのは、通称「ビキニの乙女」というものである。
(ビキニというのは、1946年7月5日にフランスのルイ・レアールが発表した水着でビキニ環礁でアメリカの
原爆実験のように衝撃を与えたことに基づいて命名されたそうで、1954年の最初の水爆実験により名付け
られたというのは間違いであるとウィキペディアに書いている。1950年代に水爆実験に因んで名付けられた
と間違って思っていた。そして、そこに、このモザイク画も、ビキニ水着は、体操着として、昔にもあった例と
して、そのwebに紹介されている。)ここには、展示されているものを写した写真は、上記の理由により斑に
なっている(Pi5)。「芸術新潮」によれば、これは「召使い部屋だったらしい“10人娘の部屋”に描かれた
ローマ時代の競技図で、左上には元々あった3世紀の幾何学模様が露出している」(Pi6)と説明されている。
便利の悪いところにあるので、参観者は多くない。
 モザイク画を十分堪能して、宿泊地のポッツァーロ(Pozzallo)に向かう。途中、そこから30 kmぐらいで
ちょっと寄り道すれば行けたカルタジローネ(Cartagirone)に立ち寄らなかったのを大変後悔する。後に、
日本のテレビでも紹介されていたが、イスラム支配の時代から盛んな陶器造りで有名な場所で、町の142段
の階段(スカーラ)にマヨルカ焼の装飾が組まれていて美しいらしい。Webで拝見すると、上記のピアッツァ・アル
メリーナとカルタジローネをどうしても見たいために、慣れないレンタカーを借りた方の旅行記もでている。
それほどのところを、ちょっとの直前の確認不足で、行きそびれたのは大変残念であった。
さらに、その南にあるラグーザ(Ragusa)やモディカ(Modica)も、通り道にあったにもかかわらず勉強不足で
見落としたことを悔やむ。これらは、「芸術新潮」にも紹介されていて、ラグーザについてその一節を自分への
思い出(後悔)としてここに記す。「さてラグーザまで来たなら、車で20分ほど南東へ下り、モディカに立ち寄ら
ない手はありません。ここもまた、じつに魅力的な都市なのです。丘をびっしりと覆いつくす家、家、家!この
圧倒的な量感じたいがまさにバロックですね。でもよく眺めると、密集した建物が織りなす色彩も味わい深い。
陽光をうけた屋根瓦の色合いは時々刻々とその表情を変えていきます。」とあり、2ページにわたる1枚の山の
斜面に建つ家々の写真が出ていて、これまでに見たことのない様相を呈している。丁度、Pi2の写真の墓を
全部家で置き換えたような様相をしている。この一帯をさすノート渓谷にまたがるカルタジローネ、ミリテッロ
(Militello)、カターニャ、モディカ、ノート(Noto)、パラツォーロ(Palazzolo)、ラグーサ(Ragusa)、シクリ(Scicli)
の町は、後期バロック都市の町として世界遺産になっている。
 ピアッツァ・アルメリーナから100 km強のポッツァーロのホテル(Castaiblea; 1泊70 Euro)には、18時45分に
着く。今朝出発のアグリジェントから、312 km走ったことになる。何故、観光案内書に載ってもいない当地で
2泊もすることにしたかは、ちょとした間違いによるが、結果的には良かった。もともと、今回の旅行は、学会
参加のチュニジアの近くのどこかということで、決めたのでマルタも候補地として考えた。しかし、適当な便が
少ないので、シチリア島にし、そこから、日帰りでマルタへの遠足ができないかと考えた。イタリア政府観光局
に行き、いろいろパンフレットをもらって、それらを調べたら、ポッツァーロからマルタに毎日、日帰りのツアー
が出ていることを知る。それで、その段階で当地のホテルを2泊予約してしまった。その後、さらに詳細に調べ
たら、毎日出ているのは、8月の終わりまでで、9月に入ると、5日に1度ぐらいしか、そのツアーは挙行され
ないことを知る。予約をキャンセルすることも不利なので、他の予定に変える。
Pi4
Pi1
Pi1
写真説明
 
Ag1:アグリジェント近くの風車
Ag2:修復作業中のコンコルディア神殿
Ag3:修復作業中のヘラ神殿
Ag4:ジュピター神殿を飾っていた人像柱テラモーネの現物
 
Pi1:カルタニセッタ(島中心)付近で来た道を振り返る
Pi2:道から見えた不気味な墓群
Pi3:ピアッツァ・アルメリーナの古代別荘跡見学コース
Pi4:床モザイク画(いのしし狩り)床モザイク画
Pi5:古代にもあったビキニスタイルの床絵
Pi6:同上一部拡大図