SICILY B
Se1
Se2
Se3
●セリヌンテ(Selinunte)(シチリア一番の遺跡)
 次にセリヌンテに遺跡を見に行く。途中には、名産のオリーヴの畑が多くあった(Se1)。セリヌンテは、
BC650年頃にギリシャによって建設されてセリヌス(Selinus)と言った。この地に昔、野生のパセリが
沢山生えていて、そこから来た名前だそうである。セリヌスは、アテネと組んでいたセジェスタと常に
争っていた。そこで、アテネはシラクーザに滅ぼされたので、セジェスタはカルタゴの援助を受ける。
BC409年にカルタゴのハンニバルは、セリヌスを滅ぼし、1万6千人が死んだ。
東に東神殿群が、1 km離れて西にアクロポリスがある。入場料6Euroを払って、まず、東神殿から見る。
東神殿群はE,F,Gがあって、一番入り口に近いE神殿の柱が立っていて、ある程度復元されている。
最初に、Eを見る。観光客が少なく、復元した部分に立ち入り触ることもできる(Se2)。
A,  B, C等という名前は、元々の名前も分からないほど記録がないことによる。
その奥にあるFの部分は、完全に崩壊したままで、この状態から復元するのは如何に大変であるか、
見ただけで想像できる(Se3)。その隣のG神殿は113×54 mの規模でBC550年頃に着工された。
832年に修復された円柱がこの写真の左手に見られる。
 この東神殿群から、はるか1 km 先に復元工事中のC神殿が見える(Se4)。車でも行けたらしいこと
を後で知るが、谷を越えて歩いている人が見えるので、我々も歩いて行かねばならないのかと思い、
暑い中を行ってみる。工事中で、中に入ることはできず(Se5)、はるか遠くから見た方が、立派に見えた。
他に、ここのCの周りにA,B,D,0と呼ばれる神殿もあって、皆、崩壊しているが、隆盛時には、いかに
すばらしいものであったことを伺わせる。
Se4
Se5
Se6
 この遺跡には何故か感銘を受けたが、帰国してから、たまたま、立花隆著「エーゲ 永遠回帰の海」
書籍情報社(2005)を読んでいたら、次のような一節があり、プロの評論家もそう感じるのかと思った。
「私自身が、ほんものの遺跡と衝撃的な出会いを果たしたのは、私が30歳のときで、イタリア、シチリア島
のセリヌンテにおいてだった。(立花氏は1940年生まれなので、1970年ぐらいの頃と思われる。中略)
“ついで”の1つがセリヌンテだった。だから、ろくな予備知識も持たずにセリヌンテにやってきたのだ。
(中略)記録は欠けていても、保存状態はよかった。私はそれまでにそれだけ巨大でそれだけ見事な
神殿を見たことがなかった。それが群をなしてあるのだ。(中略)これだけ見事な神殿が、これだけ立派
に保存されているというのに、この神殿がいかなる神殿であったか、誰も知らないのだ。記録された歴史
の中には、これらの神殿は存在していない。歴史の中では不存在ではあっても、これらの神殿はそこに
立派に物として存在していた。」立花氏は、歴史の大部分が飲み込まれた虚無の深淵をのぞきこんだ
ような気がして、寒気にふるえたが、このいくばくかは、この感動のふるえに違いないと述べている。
因みに、購入した地図で、アグリジェントは1星なのにセリヌンテは2星がついている。「ここがシチリアで
一番の遺跡と言われているのは、古代遺跡以外に人間の痕跡がないことだ。前409年以降、人がより
つかず古代のままで時間が止まっている。」と上記「イタリア魅惑のビーチ」にも書かれている。
 この遺跡の中で、サボテンの実が目に留まる(Se6)。この実は、割ると中は真っ赤な色をしている。
種が多く、そんなに美味しいものではないが、食べられるし、販売もされている。今までも見てきたと
思うが、気付かなかった。今後、シチリア島のみならず、チュニジアでも、しばしば見ることになる。
このサボテンの名前を知りたいと思いwebで調べたら、学術名はOpuntia ficus-indicaといい、英語では
Prickly pears(ウチワサボテン)というらしい。英語の直訳は刺だらけの西洋梨となると思うが、西洋梨と
いうのは形が似ているということで、味はアケビにむしろ似ている。Bastardoniという語が、果物屋の看板
にある写真があるが、これは、形は似ているが、1ケ1 Euroもして、中に種がないらしく、ちょっと高級なようだ。
写真説明
 
Se1:オリーヴ畑
Se2:セリヌンテE神殿
Se3:F神殿の崩壊状態;左手遠方は塔だけ再現されたG神殿
Se4:E神殿付近から1 km先に見たC神殿
Se5:復元作業中のC神殿
Se6:食用になるウチワサボテンの実