TUNISIA @
チュニジアMAP
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●チュニス(Tunis)入り
チュニジアに来る前にシチリア島を妻と観光したのは、別途述べたとおりである
(旅行記「歴史と火山のシチリア島」)。
チュニスは、シチリア島に近いが(地図)、直接の飛行便はほとんどないようで、一旦、ローマ
か、ミラノに戻らねばならない。チュニスの緯度は北緯36°50?で、いわき(北緯36°57?)、
日立(北緯36°36?)、オークランド(南緯36°51?)とほぼ同じ緯度なのだが、これらの地よりは、
ずっと暑い。
妻はアフリカに行かないので、ローマの空港で別れて、私だけ行くことは最初から決まっていた。
ローマの空港に着いたのが、2006年9月15日(金)12時15分で、チュニス行きが15時35分発なの
で、空港ターミナルで待つ。妻の乗る成田行きの便は13時55分発で、待合室が同じなので、そこ
のガラス窓から成田行きの飛行機が出て行くのを見送る。空港では合計3時間あまり待つことに
なる。待っている間に、同じ学会に出席するドイツの昔馴染みの教授夫妻(Freyland教授夫妻;
Karlsruhe大)が現れ、何故ローマ経由なのかとちょっと驚く。フランクフルトから、チュニスにルフト
ハンザ機で行くより、アリタリア機で、ローマ経由で行くほうが半分ぐらい安いので、そうしたとのだ
と言う。自分は、東京を約2週間前に出てきて、シチリア島を廻って来たところだと言ったら、天皇に
男の孫(悠仁親王;06年9月6日ご誕生)ができて、日本国民は皆喜んでいるというニュースを教えて
くれる。風評で男子らしいと言われていたが、Y染色体の継続の見地から、よかったと思う。
それ以外は、同じ学会に出席する人には出会わなかった。

 チュニスには、1時間半後の16時55分に着く。チュニジアの「地球の歩き方04-05年版」
(購入者が少なく、なかなか改訂しないのか、購入したものは少し古かった)では、この国は
サマータイムを導入していないと書いてあるが、すでに導入していた。すなわち、この時期、
ヨーロッパ大陸と同様、日本から7時間遅れである。空港には、学会のレセプションコーナー
が設置されていて、参加者をハマメットの学会会場まで送ってくれる。自分は、チュニスに
1泊することにしていたが、わざわざ学会で雇った2人で市内のホテルに送ってくれることに
なった。その前に空港の両替所で、当地の通貨であるディナール(Dinar)に交換する
(1D=90.29円;2004年5月には約85.5円であったと「地球の歩き方」にある)。
1人は運転手でもう1人は、土地に詳しい道案内人らしい。オテル・ベルベデール・フーラティ
(Hotel Belvedere Fourati;10, Av. des Etas-Unis)(Tu1)という中心より外れたところにある
ホテルを予約していた。4星ホテルであるが、朝食つき1泊5900円という安さである。
車が空港を出て、ヨーロッパと違ったイスラムの雰囲気に緊張する。男ばかりが目に付くのが、
異様に感じる1つの原因かもしれない。アフリカに行ったのは1971年にモロッコにスウェーデン
から観光に行ったのが唯一で、その時のカルチャーショックは、今でも忘れられない。今回、
チュニスで車を借りようか迷った結果、借りないことにしていてよかったと思う。運転の仕方が
荒く、混雑しているので、自分にはとても運転できそうもない。土地案内で乗ってくれた人も
この中心から少し離れた地域にはあまり詳しくないらしく、いろいろ迷うが、道が、混んでいる
ので、一旦間違った道に入ると出られなく時間ばかりかかる。どうもよく分からないらしいので、
自分の日本語の案内書を鞄から出して、その地図を見せたら助けになったらしく、ようやく着く。
高級ホテルなので、ボーイが出てきて荷物を運んでくれる。日ごろ気楽な安いホテルに泊まり
なれている身としては、こういう待遇がかえって煩わしい。チェックインして、部屋まで荷物を
運んでくれて、テレビのつけ方など、説明されなくてもわかることをいろいろ説明してくれる。
空港で換金した時から、こういうことを予想してチップの小銭を用意していたので、観光書の
指示どおり1Dを渡す。このホテルは日本人が多く泊まると案内書にあるとおり、NHKの国際
放送が見られて、日本語の番組をプリントしたものまで置いてあるが、学会の準備でほとんど
見なかった。
 ちょっと休んで、夕食を取るために、フロントで紹介してもらう。このホテルには夕食を出す
レストランはない。口頭で教えてくれるのかと思ったら、先ほどのボーイを呼んで、わざわざ
2−3軒先のところを傘をさして案内してくれる。着いたときには降ってなかったが、夕立が
降ってきて、自分も傘を持ってきたが、ボーイに入れてもらいチップを払う。翌日、道路が
水浸しになっているところがあったので、相当降って、下水処理の設備も不備なのだろう。
 19時すぎであったが、レストラン(Le Paradiso)は、まだ早いのか客は誰もいない(Tu2)。
メニューを見たら好物のニース風サラダ(Salade nicoise)があったので、注文したら、
美味しかったが、後で、これがあたったらしく、腹をこわす。後に残っているレシートでは、
全部で15D(サラダ、6 D、スパゲッティ7.5D、炭酸水1.5 D)である。チップは、2D置いていった
ように思う。西ヨーロッパの1/2ぐらいの額と思う。アルコールを控えたのは、学会の多少の
準備をするためである。以後、チュニジアでは生ものを食べないように注意したが、学会中、
アイスクリームがおいしそうだったので、うっかりデザートで取ったらやはり腹をこわす。他の
日本人の学会参加者で、終始注意したが、滞在中、腹をこわし続け、「ストッパー」を飲み続け
ていた人もいたし、何ともない人もいたが、少なくとも自分には、この国の生ものは危険である
ことが分かる。フランス語のフランス人の先生が、チュニジアのパンはフランスより美味しいと
教えてくれたが、フランスより美味しいかどうか分からなかったが、同様に美味しかった。
フランスと同様に、フランスパンが籠に入れて出され、食べる量は、値段に関係がない。
フランスと違う点は、セット(前菜+メイン+デザート)で取るのは、標準ではないことである。
自分でレストランに入ったのは、帰国前夜に、再度ここに来ただけなので、レストランや当地の
食べ物事情はよく分からない。
写真説明

Tu1:ベルベデーレホテル
Tu2:チュニジアのレストラン