CANADA3−5
●ケベック(Quebec):世界遺産の町
当地は、フランス語圏で、都市の名前は、’Quebec’で、州の名前は、フランス語の定冠詞がついて‘Le Quebec’といわれ、区別される。英語では、都市の名前は、ケベック・シティ(Quebec City)と言い、州の名前をケベック(Quebec)という。これは、厳密に区別して知っておく必要がある場合がある。このことを知らなかったので、バンクーバーの空港で都市の地図を買うつもりで、’Quebec’というものを購入したら、州の地図で、都市は、小さくしかでていなく、市に、最初に車で入るときに、全く役立たず、ちょっと苦労した。このようなわけだから、日本で「ケベック」と呼んでいるのは、フランス語流の呼び方に従っている訳で、現地読みの原則に従えば、正しい。
トロントで借りた車は、当地で乗り捨て料を払わなくて返却でき、また、滞在日を含めて、当地の夏祭りが11日間(7月5日―15日)あるので、ここを、カナダの最終滞在地に選んで、3日間、泊まることにしていた。
モントリオールの万博跡を11時25分に出て、途中、マクドナルドで昼食を取ったり、車中で昼寝(約10 分間)をしたり、ケベックに入る際に道に迷ったり、渋滞にあったりして、ホテルに着いたのは、6時間弱経過後の17時10分であった。距離は、万博跡から、285 kmを記録していて漫然と考えていたより大分遠かった。上記の理由で、町の詳しい地図を持っていないので、迷って住宅街で、ベランダで1人でビールを飲みながら楽しんでいる年配のおじさんに道を聞いたら、中に入って紙まで持ってきて親切に教えてくれたが、フランス語で、しかも、○○通りを何キロ行って、××通りの交差点を左に曲がってという調子で、文章で書いてくれたが、行ってみると、自分の走っている道の名前自体が分からないので、あまり役に立たず、また、他の人に聞くということの繰り返しであった。詳しい地図を持たずに、道を探すというのが、所詮、無理なことだが、後悔しても始まらない。まだ、日が暮れるには大分時間があるし、急ぐわけでもないから、そう慌てることもない。そうこう試みているうちにようやく、町に入る道に出たが、今度は、祭り(7月5日-15日)のために渋滞していた。
小さな3階建てのホテル(Manoir de la Tour)は、ネットで約3月前(4月9日)に予約した。祭りの主会場となる旧市街の入り口まで7分ぐらいの距離の、町一番のメイン道路のグランダレ(Grande Allee)に面しながらも、緑に囲まれ、公園に近く、静かで、気持ちの良い場所に位置していた。宿泊料も、祭り期間であるという理由で値上げすることもなく、2人で、朝食付き、税金も含めて、2人1泊151.4$=18064円という適正料金で、後日、カードから引き落された。以前にミュンヘンのオクトーバー・フェスト、ブダペストのF1などに、たまたま重なり、これらの祭り自体の恩恵とは全く関係無く、通常の料金の2倍も取られたことを思うと、大変良心的と思う。ただ、車を、ホテルの前の路上に駐車させねばならなく、幸い金曜の夕方だったので、18時から、翌々日の日曜の朝に出かけるまで、無料で留まれた。ただし、一旦出たら、郊外から、祭りを見に来ている人が多いので、再度、駐車場を探すのは、極めて困難な状態であった。
ホテルで、しばらく休んで、フロントで町の地図をもらって、町に出る。人口は、都市で53万人(2001年)で、国内7位である。緯度は北緯46度48分で、稚内(45度40分)より北に位置する。市内の主なところは、1日あれば、十分歩いて見られる規模である。今まで見てきたトロント、オタワ、モントリオールなどの大都市とは、雰囲気が全く違う。北米唯一の城壁都市であり、ヨーロッパの都市の雰囲気を有していて、そのために、町全体が世界遺産にもなっているのであろう。

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●ケベックの夏祭り
祭りの会場に入るための、入場証のマカロン(Macaron)と称するものを購入する(Qb1)。マカロンは、フランス語で、丸い形のクッキーとか、円形の勲章という意味を有する。期間に関係なく、1人、30$ (約3500円)とかなり高いから、1日の見物しかしない人にとっては、割りに合わないと思い、購入していない人も半分近くいるような気がする。これを胸に着けていると大抵の催し物の会場に無料で入れる。電池が入っていて、夜間には、ボタンを押すと、赤ランプが点滅するようになっている。催し物の会場は5つぐらいあって、そのプログラムは、日本で予め、ネットで見て、印刷して持ってきた。これは、ほとんど、ロック演奏で、ロックに詳しくない私には、どの演奏も同じようなもので単調に感じた。音楽でも、もっといろいろ違う種類のものをやればと思うのだが、それでは、若者には受けないのであろう。その他に、町のメイン通りなどで、大道芸や、楽器の演奏などをやっている。こちらの方は、無料であるが、プログラムは無いから、どこで何をやっているか、その場に行ってみなければ分からない。
我々が、この町に到着したのは、祭りの2日目の夕方であるが、町の中心は、車が入れず迂回するように、ブロックされていて、警官が交通整理をしている。1つの会場に入ってみる。多分、普段は、芝生のあるスロープなのだろう。アメリカのロックグループ(Spock’s Beard)が、演奏をしているが、まだ、明るいので、人も多くなく、芝生に座ってみることができる(Qb2)。中には、勝手に立ち上がって1人で踊っている女性もいた。プログラムを見ると、演奏者は地元カナダばかりでなく、アメリカ、南米、ヨーロッパなどからの参加もある。
食事後、暗くなっていたが、もう1つ、戦場公園の一画に設けられた別の会場に入る。ここは、先ほどより、ずっと大きく、人の数を勘定するのは苦手だが、数千人入っているのではないであろうか。フランスからのバンド(Manu Chao)の演奏者の顔は小さくて見えないが、そのため左右のスクリーンに顔を映し出しているがそれさえもよく見えないほど遠方である(Qb3)。途中で出てきて、ホテルに帰る。
ケベックに来て数時間で、トロント以来の雰囲気と何か違うと感じたが、それは、人々が、フランス語で会話しているだけではなく、他の都市で多く見られた中国人がここでは、ほとんど皆無であり、インド人もいなければ、日本人も全くいない。要するに、ほとんど白人ばかりである。多分、中国人(香港人)やインド人など、英語の得意な人種にとっては、フランス語が大きなバリアーとなっているのだろうと思う。日本人の団体は、当地は紅葉の時期には、多数訪問するようであるが、夏には、ほとんど来ないらしい。

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●カナダの言語問題
モントリオールでは、人々が何語で喋っているか、気にしなかったが、ケベックでは、ほとんど、フランス語で話している。カナダの言語は、どうなっているのか、興味深いので、帰ってから調べてみた。1982年の憲法により、英語とフランス語の両方が公用語として認められた。全体では、英語を使う人の割合は6割、フランス語は2割程度である。しかし、州によって状況は大分異なり、ケベック州はフランス語のみを公用語とし、ニュー・ブランズウイックは、英語とフランス語を公用語とし、他州は英語のみを公用語としている。主な州の母国語人口比は、竹中 豊著「カナダ 大いなる孤高の地」(彩流社)にあるCanada Year Bookの1996年の統計では、人口(人口は、2004年)の多い州、オンタリオ州(トロント、オタワなど)、ケベック州(モントリオール、ケベックなど)、ブリティッシュ・コロンビア州(ビクトリア、バンクーバーなど)などについては、表1に示すとおりである。

表1. カナダの母語人口比(1996)

人口
/万人

面積
/km2

英語
/%

仏語
/%

その他
/%

合計
/%

オンタリオ 1239.5 106.9 73.8 4.6 21.6 100
ケベック 754.2 145.7 8.5 82.2 9.3 100
ブリティッシュ・コロンビア 419.6 94.8 75.4 4.1 1.6 100
カナダ全体 3150 997.6 60.2 23.7 16.1 100

ちょっと意外に思うことは、公用語以外(中国語、イタリア語、ドイツ語など)を使う住民が多いことと、英語とフランス語の両方を話す割合が、17%(1996年)と少ないことである。この言語問題は、ケベック州の独立問題ともつながる問題で、この国にとって、これからも難問題である。なお、香港返還は、1997年6月30日だから、1996年には、ほぼ、香港からの移民は完了していたであろう。彼等の主な行き先は、バンクーバー(10万人以上;ブリティッシュ・コロンビア州)とトロント(オンタリオ州)だというから、彼等の母語は、この統計では、英語とみなされているのであろうか。

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●フェアモント・ル・シャトー・フロントナック(Fairmont Le Chateau  Frontenac):ケベックの見所
翌日、7日(土)は、当初、郊外に出て行く予定であったが、帰ってきて駐車場が見つからないと困るので、終日駐車可の土曜なので、路上に駐車させたままで、町の見物に当てることにする。
この町の象徴でもあるフェアモント・ホテルの見学コースがあるというので、それに参加することは、日本を出る前から、予定していた。朝、まず、ホテルに予約に行く。レセプションの横にあるインフォメーションで、見学予約について聞いてみる。地下1階にある見学係と連絡して、フランス語は、毎時間あるが、英語は、より少ない回数であったが、15時からのものを申し込む。名前を聞かれて予約票をくれて、15時10分前に、地下1階の受付に来るように言われる。
城壁町は、セント・ローレンス川からのレベルから一段と高い所に位置している。川を見下ろす場所に670 mの板張りのテラス・デュフランがあり、ハープで「禁じられた遊び」を演奏している芸人などもいる(Qb4)。川辺に出るには、首折の階段(Qb17:後出)を降りていく。この名前は、登る際に上を見ると首が折れるほどだというところから、付けられたといわれるが、大した階段でもなく大げさである。しかし、ケーブルカーも併設されている。階段を降りると、この町で、一番有名な通りプチ・シャンブラン通りがある(Qb5)。道の両側に洒落た店が並んでいる。近くにロワイヤル広場があって、ノートルダム教会があり、有名なルイ14世の銅像もある(Qb6)。珍しく白人の団体旅行の一団が来ていた。更に、少しセント・ローレンス川に出たところからのフェアモント・ホテルの景観が、この町の一番の圧巻である(Qb7)。ホテルの右下付近にケーブルカーが見える。
次に、自分は、中心から1km 以上遠くにある祭の会場に行く。家内は遠くなので、同伴せず、13時30分に町で待ち合わせることになる。どうして、こんなに遠くに会場があるのかと不思議であったが、そこでは、子供のための催しだけを行っている。舞台でベルギーとメキシコの子供達のダンスが行われていたり、子供の顔にペインティングをしていた(Qb8)。今、子供の顔にペイントするのが流行らしい。後ろにはケベックの電力は97%、水力で作られていると書いてある。
町に戻る際に、大道芸の主に行われるサン・ジャン(St-Jean)通りを通ってみる(Qb9)。祭りらしく、大勢の人が歩いている。写真をよく見ると、東洋人や黒人はほとんどいないことがわかる。何度も通る城壁の入り口、サンルイ門を通る(Qb10)。そこでも、2人組が演奏を行っているが、ここには観客もおらず、あまり収入がありそうにない。城壁に上って、カナダ最大の要塞である19世紀にできたシタデル(La Citadelle)を通る(Qb11)。別のメインの通り(グランダレ)では、フラフープをやっている。これは、素人でもできる芸なので、これが大道芸かとちょっと驚く。長閑である(Qb12)。
待ち合わせ場所に戻って、すし店、「銀杏」の真向かいのレストラン(Qb21:後出)で食事をしたが、そのレストランが混んでいて、席に着くのも待ち、料理も待たねばならず、14時30分を越えたので、料金をテーブルに置いてあわてて出る。自分だけが、「マグロのタタキ」(Tataki de Thonと書いてあった)(Qb13)を注文したが、分厚いマグロがご飯の上に乗っていて、マグロの料理の仕方も悪く、異常に醤油がかかっているので、下のご飯の大半は食べられなかった。値段は安いが、日本人コック以外の料理らしく、味付けがまずく、折角のまぐろがもったいない。よく、このメニューが生き延びているものと感心する。秋にかけて、日本人が大挙してくるので、皆が1度だけは注文するので、人気があると勘違いされているのかもしれない。「タタキ」が、当地で通用する言葉になっているとは知らなかった。急いでいる時は、皆が注文しないものは、注文すべきでないことを知っていながらしてしまった。
フロントナック・ホテルの15時からの見学は、英語説明組は、2組に分かれ、昔の衣装を着た夫人が、案内して、各組、丁度15 名ぐらいであった(Qb14)。多分これが定員なのであろう。入場料は、大人、8.50$で、シニアー、7.95$で、合計1時間弱、貴賓室、外の見える部屋(下のセント・ローレンス川の眺望のよい部屋(Qb15))、大広間などを見る。宿泊した有名人の写真として、カーター元大統領などの写真が壁に貼ってあった。
それまで知らずに、驚いたことは、1943年8月と、1944年9月の2回にわたって、このホテルと古城で、第2次世界大戦中に重要会談が行われたことである。Roosevelt米大統領とChurchill英首相、Kingカナダ首相などが参加したそうであるが、主役は前2者であった。第1回(俗称Quadrant:四文儀)では、D-day(ノルマンジー上陸は実際には、1944年6月6日に実行されることになる)、そして、すでにこのとき、ドイツ降伏1年後の1945年10月を、日本の降伏予定期日と決めたらしい(重要な会議や作戦には、秘密あるいは、公開の名称をつけたのはアメリカの習慣であろう)。もう、この頃から、戦況は、完全に、米英に掌握され、ほぼ、その通りに推移したわけであるから、そうとも知らずに、戦っていた我が国の首脳部の情報の欠如、判断の甘さ、その犠牲で亡くなられた方々が何とも痛ましい。この廊下に掲げてある写真は(Qb16)、第2回目の会議(俗称Octagon:八角形)らしく、左から、Athloneカナダ軍司令官、F.D.Roosevelt, W. Churchill, W.L.M.Kingカナダ首相である。この会議後には、プレスにも公にされていたから、日本でも知らなかったはずはない。この第1回会議がある前には、長期にわたり、ホテルは理由を告げずに決まっていた宿泊客を全部キャンセルしたというエピソードも紹介され、後から、ネットで確認したが、真実であったことを知った。それにしても、いくつか読んだ日本の観光書には、自分達の運命が議論されたこのホテルの会議について何の言及もないのは、少し、軽薄ではないか。このホテル見学をしなければ、このことを知らないままでいた。
ホテルを出て、朝にはゆっくり見ていなかったホテルの前の板張りのテラス・デュフランからセントローレンス川を見(Qb17)、すでに通った「首折り階段」を確認し、また、後ろを振り返りホテルを見上げ、先ほどは、あの辺りの窓から、こちらを見たのではないかと、想像する。このテラスには、川を向いたベンチもあり、ここもこの街で、景色のよい場所の1つと思われる。
夜の演奏の入場に備えて昼から、並んでいると家内が、戦場公園の会場前で見てきたというので、通り道なので、見に行く。まだ、開演5時間前なのに、立って待っている若者が多くいる。どこの国でも、熱狂的な若者はいるものだと感心する。しかし、ちょっと不思議なのは、日本と違って立っている者が多いことである(Qb18)。座っているより立っている方が楽なのであろうか。
この場所から、ホテルは近く、途中のジャンヌ・ダルク庭園公園では、結婚式が行われようとしている。花嫁が、両親に伴われて入場する頃から(Qb19)、今まで晴れていたのに、急に雨が降り始める。神父が、結婚式を執り行うにしたがってますます雨はひどくなる(Qb20)。7月7日(土)といえば、当地では、最も結婚式には向いた気候と予想して決めた日取りであろう。それが、急にこの天気で、運の悪い人達だと思う。回りの、結婚式を見物している人は木の下にいるので、雨に濡れず、気楽でいられる。
後で、カナダの離婚率を調べてみた。離婚率の出し方に2通りがあって、正式なものは、人口千人あたりの離婚件数で、2000年の統計では、2.32組で、世界20位で、日本の2.30組(22位、02年)と似ている。また、もう1つの出し方は、離婚件数を同じ年の結婚件数で割るものである。2002年に、カナダは38%で、日本は2004年に37.6%(婚姻件数:720,429, 離婚件数:270,815)で、これもカナダと日本は似ている。いずれの出し方も、今、結婚した人が、将来別れる率を出しているわけではないが、約1/3とは、日本もいつの間にか、こんなに高くなっているのかと驚く。米国、ロシア、ヨーロッパは、50%に近いか、それを超えている。
しばらく眺めて、この組が、水を注されて、将来、別れないことを希望し、そこから1分ぐらいの距離のホテルに一旦戻る。
カナダの料理にあまり上手いものがないので、中華料理店を探して街を歩いてみる。昼間入ったレストランは、人気があって行列である(Qb21)。中華料理店は1軒も見つからない。ホテルで聞いたわけではないから、この町に1軒もないかどうかは、断言できないが、もし無ければ、これだけの都市で中華料理店がない所は、世界でも珍しい。このレストランの向かいで、翌日は入ることになるすし店の「銀杏」の隣に「すしバー」の看板があって、結構流行っているように見えたので入ったら、店名とは違って流行っているのは、1階の普通のレストランの方で、「すし」と言ったら、地下1階に通されて、そこには誰も客はいなかった。大したネタはなく、てんぷらと海苔巻きを注文したら、普通の醤油が、テン汁用の入れ物に多量に出てきて驚く(Qb22)。一体、何に付けることを想定しているのであろうか。どうやら、日本人は、関係していないらしく面白い。値段は、割合安かったと思う。
食後、先ほど並んでいた会場に行ってみる。中に入ろうと思ったら、この演奏は更に1人10$を払わねばいけないと言われたので、名前も知らない演奏者をわざわざ見ることもないので、別の会場に行く。それで、マカロンを着けた人が多く会場外で聞いていたわけが分かった。他の会場も混んでいたので、しばらく見て出る。町の噴水の前を通ったら、噴水が泡だらけになっていて、若者達が興じている。これも、祭の催しの1つなのであろうか。
写真説明
● ケベック
Qb1:マカロン(催し場入場ワッペン)
Qb2:会場B(舞台はSpock’s Beard)
Qb3:会場A(舞台のMaru Chaoは、遠方)
Qb4:テラス・デュフランの街頭ハープ演奏
Qb5:プチ・シャンプラン通り
Qb6:ルイ16世銅像
Qb7:フェアモント・ル・シャトー・フロントナック
Qb8:子供会場;化粧してくれる。マカロンも見える。
Qb9:大道芸の主要会場通り
Qb10:サン・ルイ門(見物人は閑古鳥)
Qb11:シタデル
Qb12:大道芸のフラフープ
Qb13:醤油に浸った「マグロのタタキ」
Qb14:フロントナック内見学ツアー
Qb15:フロントナックから見たテラス・デュフラン
Qb16:米英首脳重要会談(1944年)の写真
Qb17:テラス・デュフランからの風景
Qb18:長時間、開演(会場A)を待つ若者たち
Qb19:ジャンヌ・ダルク庭園での結婚式
Qb20:同、雨中の野外結婚式
Qb21:人気のレストラン
Qb22:すしバーの多量の醤油