シドニー(Sydney) 人口450万人で第一の都市であり、観光の名所 |
● 計画
甥の酒井一家が4年ほど前から、商社の駐在員として住んでいるので、在任中に一度訪問したいと思っていた。オーストラリアを代表する都市で、世界遺産のブルーマウンテンも近郊にあることも魅力的である。
ブルーマウンテン空振り訪問 ホバートから、シドニーは、1時間50分の飛行で、時差はない。カンタス航空なので、軽食が出る。12時20分に着き、車を借りて、予定していたブルーマウンテンに向かう。行く道はタスマニアの項で述べたのと同じwebで調べていたが、大都市なので、1度間違えた道に入ると戻ることが困難で、結局、すぐ、予定しない道を行かねばならなくなった。大渋滞に巻き込まれ、しかも、現在地がどこか分からなくなった。車を停めて店に入って聞いたら、中国人のマスターが、ブルーマウンテンに行く高速道路への出方を親切に教えてくれた。そこは、ニュータウン(Newtown)という所で、まだ空港からそう遠くないことを知り、夕方までに、ブルーマウンテンに着けるのかちょっと心配になる。教えてもらったとおりに行ったら、高速道路に出ることができ、16時ごろ最終目的地に着いた。121
kmを記録していた。シドニーの町から離れても、結構高速道路の車の数は多い。高速道路の最初の所では、$2.20の高速料金を払ったが、ブルーマウンテン近くでは、全くゲート無しでCTA方式が導入されていて、帰国後30日経って、罰金の請求書が送られてきて初めて知ることになる。詳細は後述する。
目的地に行くには、最後に高速道路から左折するのだが、その辺から、霧が出ていて、最後に駐車場に着いたら、霧で視界は50
m先が見えない程度になった。たまたま、車に戻ってきた人に、どこがブルーマウンテンか聞いたら、すぐ目の前にインフォメーションがあることを教えてくれ、朝の10時から来ているが、このような天候であるとこぼしている。確かに、シドニーの町では、ブルーマウンテンがこのような気象状態になっているとは想像もつかなかった。マウンテンという名前が付くが、道は、ほぼ平らで、道中勾配に気付くほどではなかった。東京で晴れていても箱根は霧の中という経験もあるから、東京―箱根間よりシドニーの町から遠い当地では、考えてみれば、そう珍しいことではないのであろう。インフォメーションに入って、またその前の展望台から見たが、霧で、何も見えない(S1)。それでも、折角来たので、40分ぐらいいて、車に戻ったら、丁度、車で着いた人から、先刻、自分が他の人に聞いたと同じ質問をされた。再度来ることにして、シドニー北西郊外のソーンレイ(Thornleigh)に予約していたホテル(IBIS)に向かい、18時30分に着く。ブルーマウンテンからは、102
kmであった。今日は、ブルーマウンテンへの道の下見にしかならなかった。ホテルには中国人の団体客が多数来ていた。
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シドニー港見物 車で、大都市を見物するのは好きでないが、シドニーに来て、オペラ座のある風景を見ない手はないと妻が言うし、尤もなので、行くことにする。有名な橋(Sydney
Harbour
Bridge)を渡る。後で知ったが、この橋は入る時に通行料金が取られ、出るときには取られない方式になっている。橋を渡って駐車場を探していたら、Argyle通りという中心地に近いところに見つかって入る。1時間駐車して$4.0であった。そこから、歩いていたら、外貨を交換する店があるので、日本円の現金交換比率を見たら、1$=105.184円で(S2)、このときは一番円安の時であったが、成田での交換比率より更に悪く、ちょっと驚く。オペラハウスは直ぐで、湾に沿って歩く。先ほど渡った橋は、その頂上に昇るブリッジクライムというツアーもあって、何人かが見える(S3)。全行程3.5時間もかかるとのことである。曜日と時間によっても違うが、ツアーに参加するのに約2万円かかるそうである。昨年ニュージーランドで見たバンジージャンプの2倍もかかるとことになり驚く。オペラハウスへの道には観光客が多数歩いている。オペラハウスはデンマーク人ヨーン・ウッツォン(Jorn
Utzon)の設計になり、その屋根は、貝殻や帆を表しているそうで、ベネロンポイント(Bennelong Point)の先端に美しい姿を現し、オーストラリアを代表する建築物であると言われている(S4)。 シドニー港は世界3大美港の1つといわれている(3大美港は、香港、リオデジャネイロ、ナポリ、シドニーのうちの3つらしいが、どれを選ぶかの定説はないようである)だけあって、絵になる景色である。この湾は、ポート・ジャクソンと言い、1788年1月26日に、アーサー・フィリップ総督が、囚人とともに上陸し、イギリス領となった記念の場所であり、また、第2次世界大戦中、1942年5月31日に3隻の特殊潜航艇が攻撃し、そのうちの1隻は、1隻の船を爆破し、19名が戦死した一方、その潜航艇は最近の2006年11月に沿岸数キロメートルで発見された。他の2隻は、いずれも、攻撃に失敗し、自爆したが、すぐ引き上げられ、戦争中にも拘らず、その勇敢さに敬意を表して手厚く葬った。戦後、海上自衛隊の練習 艦がシドニー港に寄航する際には、慰霊を行っているとのことである。 この後、甥の酒井さんにオーストラリアで一番有名なタロンガ(Taronga)動物園の券をもらったので、見に行く。道が複雑で、何度も聞いて行く。お陰で、違った角度からオペラハウスなどを見ることができる。自分は、タスマニアで動物園に行っているので、妻だけが入り、自分はその間、その付近を走ったり、動物園の端から見える湾の風景などを見ていた(S5)。この動物園には、オペラハウスの横の桟橋からフェリーで来ることもできるようになっている。
16時前にアルターモン(Artarmon)のホテル(Antarmon
Inn)に戻る。このホテルは、シドニーの橋を渡った北側郊外にあるが、住所にハイウエイとなっていて不思議に思ったが、両側に家が建っていても、当地ではハイウエイと言うようである。甥の妻のしおりさんが、初めて会う1.5歳の子供を連れて4.5歳の子供を保育園に迎えに行くというので、同行することを希望して、行きがけにホテルに立ち寄ってもらう。日本の保育園を良く知らないが、多分似たようなものであろう。日本人が多かったが、オーストラリア人の子供もいたし、職員も勤務していた(S6)。酒井さんの住んでいる所に帰る道で、2人の子供は、消防自動車を見るのを毎日楽しみにしているそうである。山火事の多い地なので、消防士の勇姿がテレビで放映されるのを見ての影響なのかと思う。マンションは橋を渡ったウエバートン(Weverton)というシドニー北側郊外に位置する高級住宅地にあったが、広々としていて、湾の眺めも素晴らしかった(S7)。4.5歳と1.5歳の2人の子供が広々とした部屋で遊ぶのを見ていたり、マンゴなどの新鮮な果物をご馳走になりながら、しおりさんと話しをしたりした後、予約してもらっていた和食レストラン「SAKANA-YA」(336
Pacific Hwy., Crows
Nest)に皆で行く。店員も日本人で、客も日本人が多い。甥が勤め先から、ワインを持って合流する。この店では、ワインの持ち込みは、いくらかの料金を支払えば可能で、当地では、それが普通であるそうである。ちらし寿司や伊勢海老など美味しく、里芋の煮たものまであり驚く。食事後、近くの夜遅くまで開いているスーパーに案内してもらい買い物をし、その後、昼間見た橋やオペラハウスの夜景の見えるところを案内してくれた後、ホテルまで送ってもらった。金曜の夜で、気候もよいので、多くの若いカプルが、これらの夜景の美しい場所に来ていた。 |
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S7 |
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S8 |
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再度ブルーマウンテンへ 世界遺産であり、当地随一のブルーマウンテンを見ないで帰るのも残念なので、再度行くことにして、3日(土)朝8時40分にホテルを出て、11時に一昨日訪問した地点に着く。日本人の観光団も来ているし、アボリジニの人も営業していて(多分、彼らの楽器の笛を吹くのだろう)、いかにも観光地という雰囲気である(S8)。広々とした見晴台から、一昨日の状況が嘘のようによく見渡せる。一番特徴的なのは、しばしば写真で目にするスリーシスターズ(Three
Sisters)の岩山である(S9)。スリーシスターズは、すぐ近くなので歩いていったら、若い人がいっぱい来ていて、混雑している(S10)。今回の旅行で、一番混んでいたのは、この地点であった。
遠方に、リフトが動いているのが見え、酒井さんのお奨めでもあったので、乗り場まで車で移動する。3つの乗り物の発着点となるシーニックワールド・エントランスという建物があり、みやげ物やレストランもある(S11)。ここを発着点として、シーニック・レールウェイ、シーニック・ケーブルウエイ、シーニック・スカイウエイという同じような名前のものがあり、これらの終点がどう繋がっているのかいないのか、どういうコースの切符を買ったらよいのか、よく分からないので、切符売り場では、大抵の人が窓口で聞いているので、列がなかなか進まない。その行列の間、皆、案内板を見ながら理解しようと努力している。自分もそうしたが、やはり確認のために、切符を買う際には、聞いてみる。急斜面を駆け下りる「レールウエイ」で降りて、終点から、遊歩道を10分ぐらい歩いて、「ケーブルウエイ」で、ここまで戻り、また別個に「スカイウエイ」で、往復するというのが、標準コースで、「地球の歩き方」にも書いてあったが、詳しくは予習してなかったので、最初は戸惑う。このコース1人$28であった。「レールウエイ」は、文字通り、地面の上を駆け下りるもので、その最大角度が52oというのが売りである。この3つの乗り物とも、結構多くの人数が乗れるので、団体客が多く来ている。「レールウエイ」の終点からは、温帯雨林の中を歩く。途中に石炭を昔掘っていたことを示す人形などを使った展示がある(S12)。ここで出た石炭を運ぶためにシドニーの町から鉄道が敷かれたとのことである。帰国後、たまたま、テレビの「世界の車窓から」で、そこを走る鉄道が紹介されていて、途中スイッチバックするところがあり、普段は蒸気機関車を使うが、乾燥注意報のでている時は山火事を起さないように、電気機関車を使うと言っていた。歩いて「ケーブルウエイ」の終点から乗る。これは、定員84人と大型なケーブルなので、1台待つこともなく乗れる。戻った駅のテラスで、軽昼食を取る。ちょっと売店で買い物をして、最後に「スカイウエイ」に乗って往復する(S13)。途中左前方にカトゥーンバ(Katoomba)滝が見える。終点では、スリーシスターズの方向、すなわち大展望台方向に少し歩いて見る。この「スカイウエイ」は床の中央部が走り出すと透明になって谷底が見えるというのが売りである。床の端では、そういう仕掛けもなく下が見えるのだが。愛知万博で、ケーブルの窓が同じ仕掛けだった。 帰りに、近くのカトゥーンバのスーパーマーケットに立ち寄る。スーパーに行くつもりはなかったが、町に行ったら、大きなスーパーがあったので入ってみた。食料品と雑貨品は隣り合った別の店になっていて、食料品のところで、ビールはどこにあるか聞いたら、向かいにある別の店で売っているとのことで、この国ではアルコールは特別扱いをしていることがうすうす分かる。こんなに大きなスーパーがあるということは、近隣に、多くの人口があることが分かる。その後、国内空港の近くにあるホテルに一旦寄り、荷物を降ろして、空港に、車を返しに行く。最初、返却場所がよく分からずぐるぐる回ってしまう。1度は1km離れた国際空港まで行かざるを得ない道にまで入って戻ってくる。こういうことは、過去にも経験して何度か泣きたい思いをしているので、なるべく時間に余裕を持って返すことにしている。今日は、この後飛行機に乗るわけではないので、慌てる必要はなかった。19
時ちょっと過ぎにようやく車を返却後、700-800 mを歩いてホテルに帰る。車は、ブルーマウンテンから、139
kmを記録していた。翌日は、10時30分発の便でエアーズロックに向かうので、ホテル(IBIS)から、シャトルバス(1人$5)で国内空港まで送ってもらう。 |
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S12 |
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S13 |
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